クロテンの話を、私は本に書いたことがある。
「え? クロテンってなんですか?」
みんなそう聞くのだが、クロテンはクロテンである。
クロテンは、古来よりヨーロッパ・ロシアで商品としての毛皮を狙われてきた小動物だ。
「やわらかい金」「走るダイヤ」と呼ばれ、いっときは繁栄期のロシア帝国の経済をまわし、国益の三分の一を担っていたという毛皮獣。
ところが乱獲により絶滅の危機に瀕し、その後、時代とともに見向きもされなくなった。
クロテンは人間に追われ、殺され続け、とてつもなく警戒心の強い生き物になった。
クロテンだけでない、クロテン捕獲のためにシベリア先住民も、想像を絶する苦痛を長きにわたり強いられた。
「なぜロシアだった」のか、をかいつまんで言うと、私が会社をやめて――20年仕えたボスのもとを離れ、独立した矢先に乳ガンが見つかり、闘病生活に入り、実家に帰り、帰った実家にロシアの本がたくさんあったからである。
総合商社のニチメン(現・双日)につとめていた私の父は、かつて旧ソ連と仕事をしていた。シロクマのように大きなロシア人たちと付き合い、「北洋材」とよばれるロシアの材木を、輸入していたのだ。そのため、私は子どもの頃からソ連の文化やロシア語にふれている。
実家を出て東京に住んで、出版社の編集者をやっていた20年間はすっかり忘れていたのだが、そういえば私は自分の名前もロシア語なのだ(ミルコのミルは平和のМИР)。
久しぶりの実家暮らしで、父の書庫で見つけたロシア・シベリアの本を読んでいくうち、そこにやたら登場するクロテンという生き物について考えるようになった。
そしてロシア・シベリアの勉強を始めてしばらく経ったある日、夢にクロテンが出てきた。
「いつでも会いにおいでよ、ロシアの森にいるから」
私は夢の中でクロテンに会い、クロテンからロシアの森へ来るよう誘われて、そこへと向かったというわけだった。
<クロテンに自分の人生を重ねて、クロテンの生きざまをたどる>
という変わったテーマを掲げ、この突飛なプロジェクトを「ミルコのファーロード」と勝手に名付け、私は旅に出た。
「ファーロード」とは、「毛皮の道」だ。
シルクロード(絹の道)に総称されるティーロード(茶の道)やスパイスロード(香料の道)などと同様の概念が基の、極東から中国、シベリア、中央アジア、ヨーロッパへとつながっていた、いにしえの人びとが行き交い、夢とロマンと貴重な物品を運んだ、貿易の道のことである。
<シルクロードの根本理念とは、あらゆる文物(学問・芸術・宗教・法律など文化に関するもの)や物品をして、国家や民族に関係なく、それを欲する人びとのところへ自由に流通せしめよ。>
(参考文献・『シルクロードの大旅行家たち』加藤九祚著 *本書によるとシルクロードという言葉が初めて文献に登場したのは、ドイツの地理学者リヒトホーフエン(1833~1905)の著書『支那』(1877年刊)だそうである)。
「ファーロード」の語に私が最初に接したのは、司馬遼太郎さんの著作『ロシアについて』においてであったが、その言葉が目に飛び込んできたとき、そうだ、私はこれをやる――「私がやらなくて誰がやる?」と、思った。それから、「毛皮の歴史」について、調べ始めた。
「私がやらなくて誰がやる?」に国境はない。私はクロテンの流れた道をたどることで、各地にいまも生きる知恵や文化への扉を次々と開き、本物の自由に近づきたかった。
本物の自由とは、「ねば、」からの解放である。使命感を捨て、過去を捨て、前へ進むことである。
第一の旅では、<ロシアのアマゾン>と呼ばれるビキン川流域を訪れた。ロシア極東にひろがる、タイガの森である。
その旅から、『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)という一冊の小さな本が生まれた(2014年)。
刊行から5年、現在ロシアでの出版に向けて準備が進められているところである。
私は勢いよくロシアへ飛び、一冊の本を書き上げたが、読んでくれた人は、こう言った。
「次回作では、ぜひクロテンに会ってください」
そういえば私はクロテンに会うためロシアへ行ったのに、クロテンに会っていない。
あとで読み返してみると、途中で力尽きてしまった感が否めない。私の体力のなさが、本に出てしまっている。
――「私がやらなくて誰がやる?」
その思いは、激しく胸の奥からせりあがってきた。
誰にも頼まれていないが、これをやる。
やる理由はただひとつ、「私がやらなくて誰がやる?」と思うから。
思おうとしていないのに、思ってしまう。
これぞ天に任された用事といえよう。
そうだ、私はこの道をあきらめてはならない。
こうして私はクロテンを追い、ひきつづき<ファーロードをゆく>ことを決めた。
<つづく>